computo ergo sum

2026-10-01 · chapter ヤン–ミルズと質量ギャップ第 1 部 数学の準備線形代数

この本の全体 目次と読む順
  1. 第 0 部 入口 — この本の読み方
  2. 0-01 この本の読み方
  3. 0-02 一枚の絵
  4. 0-03 問題文を一語ずつ読む
  5. 0-04 数学の四次元と物理の四次元
  6. 第 1 部 数学の準備
  7. 1-01 ベクトル空間と線形写像
  8. 1-02 群とは何か
  9. 1-03 リー群とリー環
  10. 1-04 SU(2) と SU(3)
  11. 1-05 多様体と接空間
  12. 1-06 微分形式と外微分
  13. 1-07 ベクトル束と接続
  14. 1-08 確率と測度
  15. 1-09 無限次元の確率
  16. 1-10 ヒルベルト空間と自己共役作用素
  17. 1-11 フーリエ解析と分布
  18. 1-12 寄り道
  19. 第 2 部 物理の準備
  20. 2-01 ラグランジアンと作用
  21. 2-02 場という考え
  22. 2-03 電磁気学はゲージ理論である
  23. 2-04 特殊相対論と時空
  24. 2-05 量子力学の骨
  25. 2-06 調和振動子と生成消滅
  26. 2-07 経路積分の考え方
  27. 2-08 統計力学と相転移
  28. 2-09 寄り道
  29. 2-10 緩和の時間と動的指数 z
  30. 第 3 部 ヤン–ミルズ理論(古典)
  31. 3-01 ゲージ原理
  32. 3-02 非可換ゲージ場
  33. 3-03 作用と方程式
  34. 3-04 幾何としてのゲージ理論
  35. 3-05 インスタントンと位相
  36. 3-06 寄り道
  37. 3-07 標準模型の中のヤン–ミルズ
  38. 第 4 部 量子化
  39. 4-01 正準量子化とハミルトニアン
  40. 4-02 経路積分とユークリッド化
  41. 4-03 摂動論と Feynman ダイアグラム
  42. 4-04 発散と繰り込み
  43. 4-05 発散の代数
  44. 4-06 漸近自由
  45. 4-07 次元転移と Λ
  46. 4-08 ゲージ固定と Faddeev–Popov
  47. 4-09 場の量子論の公理
  48. 4-10 Osterwalder–Schrader の公理と再構成
  49. 4-11 質量ギャップの定義
  50. 4-12 寄り道
  51. 第 5 部 格子ゲージ理論
  52. 5-01 Wilson の格子
  53. 5-02 強結合展開
  54. 5-03 反射正値性と転送行列
  55. 5-04 無限体積極限とクラスター展開
  56. 5-05 弱結合と連続極限
  57. 5-06 U(1) と非可換の違い
  58. 5-07 モンテカルロ法
  59. 5-08 グルーボールと弦張力の測定
  60. 5-09 何を固定して極限を取るか
  61. 5-10 有限群の格子ゲージ理論
  62. 5-11 寄り道
  63. 第 6 部 構成的場の理論
  64. 6-01 構成的場の理論とは
  65. 6-02 二次元の可解性とヤン–ミルズ測度
  66. 6-03 スカラー場の構成
  67. 6-04 クラスター展開
  68. 6-05 繰り込み群の段の列
  69. 6-06 三次元ヤン–ミルズの紫外安定性
  70. 6-07 四次元
  71. 6-08 四次元の φ⁴ の自明性
  72. 6-09 確率量子化と正則性構造
  73. 6-10 四次元で止まる場所
  74. 6-11 発散以外の障害
  75. 6-12 寄り道
  76. 第 7 部 物理の側から
  77. 7-01 物理はどう見ているか
  78. 7-02 閉じ込めの機構
  79. 7-03 弦の絵
  80. 7-04 大 N
  81. 7-05 ひも理論と余剰次元
  82. 7-06 余剰次元が見えなくなる仕組み
  83. 7-07 ゲージ場はどこから来るか
  84. 7-08 ホログラフィー
  85. 7-09 質量ギャップが幾何になる
  86. 7-10 四次元に戻す
  87. 7-11 超対称と Seiberg–Witten
  88. 7-12 等価原理に当たる一文
  89. 7-13 物理の掘り方が数学と離れる場所
  90. 第 8 部 二つの言葉の辞書 — 物理の視点と数学の視点
  91. 8-01 辞書の読み方
  92. 8-02 辞書 A
  93. 8-03 辞書 B
  94. 8-04 辞書 C
  95. 8-05 私たちの仮定の物理側の対応
  96. 第 9 部 現在地と課題
  97. 9-01 世界はどこまで来ているか
  98. 9-02 二つの掘り方の切れ目
  99. 9-03 新しい概念の候補
  100. 9-04 課題の一覧
  101. 9-05 よくある誤解
  102. 第 10 部 質量ギャップの厳密な証明へ — この端末の検討
  103. 10-00 第 10 部の入口 — 酔歩と定規と時計
  104. 10-01 理論の構成の筋
  105. 10-02 一段の記帳
  106. 10-03 仮定 H と三つの鎖
  107. 10-04 方向の地図
  108. 10-05 方向 12〜14
  109. 10-06 方向 15・15′
  110. 10-07 Lean で閉じた言明と既存の結果の対応表
  111. 10-08 壁の一覧
  112. 10-09 ひらめき帳から
  113. 10-10 主張しないこと
  114. 10-12 つじつま合わせ
  115. 10-11 定理までの距離
  116. 10-13 小さな問い — 卒業研究の大きさで決着のつく十〜二十問
  117. 付録
  118. A-01 記号表
  119. A-02 用語集
  120. A-03 文献案内
  121. A-04 Lean と機械検査
  122. A-05 この本の作り方
  123. A-06 仮定の索引

ベクトル空間と線形写像 — 行列を「ベクトルを動かす規則」として読み、固有値・指数関数・エルミートとユニタリを揃える

この章で分かること — 行列を「ベクトルを動かす規則」として読むこと。固有値が「向きを変えない方向」の伸び率であること。エルミート行列(固有値が実数)とユニタリ行列(長さを保つ)が U=eiHU = e^{iH} で結ばれること。

前提となる章 — なし。行列の積と行列式、複素数、定数係数の常微分方程式を既知とします。

先に言うこと — 有限次元に限ります。質量ギャップは無限次元の作用素の問題で、有限次元の結論がそのまま延びるとは限りません(1-10)。定理はすべて既知の線形代数です。

この章の順序
  1. なぜ線形代数から — 行列が出る三つの場所
  2. ベクトル空間 — 成分が複素数の実ベクトル空間
  3. 線形写像と行列 — 掛ける順序で結果が変わる
  4. 固有値と固有ベクトル — 向きを変えない方向(図1)/寄り道:回転の固有ベクトル
  5. 内積と随伴 — 複素数での長さ
  6. エルミート行列 — 実の固有値と隙間(図2)/寄り道:準位は避け合う
  7. ユニタリ行列 — 長さを保つ変換
  8. 行列の指数関数 — 級数と微分方程式(図3)/寄り道:級数を足すと失敗する例
  9. エルミートとユニタリを結ぶ — U=eiHU = e^{iH}

01

なぜ線形代数から始めるか

ヤン–ミルズ理論では、数が入るはずの場所に行列が入ります。役は三つです。

変換ゲージ変換 g(x)g(x) はユニタリ行列各点で長さを保つ行列を掛ける(§07)
場ゲージ場 Aμ(x)A_\mu(x) の値は行列μ\mu は方向(時間・空間)の番号。掛ける順で値が変わる=非可換(§03・§09)
エネルギーハミルトニアン HH はエルミート質量ギャップは最低の値と次の値の隙間に当たる(§06)。正確には、真空(最低の状態)を除いたスペクトルの下端(1-10・4-11)

ゲージ変換に使う行列の大きさを NN(N×NN \times N 行列)とすると、電磁気学は N=1N = 1 の場合で、ゲージ変換は絶対値 1 の数 eiαe^{i\alpha} を掛けるだけです(2-03)。数の積は順序に依らないので、物質の無いとき、ゲージ場自身の方程式(Maxwell 方程式)は線形のままです。N≥2N \ge 2 では順序が効き、物質が無くてもゲージ場どうしの積が方程式に現れます(3-02)。この章はその土台を有限次元で揃えます。

02

ベクトル空間

ベクトル空間とは、足し算とスカラー倍ができ、結合・交換・分配の法則など数と同じ規則が成り立つ集まりです。スカラーを R\mathbb{R} から取れば実ベクトル空間、C\mathbb{C} から取れば複素ベクトル空間です。どのベクトルも v=c1v1+⋯+cnvnv = c_1v_1 + \cdots + c_nv_n とただ一通りに書けるとき v1,…,vnv_1, \dots, v_n を基底、本数 nn を次元と呼びます。例は Rn\mathbb{R}^n、Cn\mathbb{C}^n、n×nn \times n 行列全体(次元 n2n^2)、区間上の連続関数全体(無限次元、1-10)です。

この本で何度も戻る例は、トレース 0 の 2×2 エルミート行列の全体です。エルミートとは H†=HH^\dagger = H となることで、†\dagger は転置して各成分の複素共役を取る操作です(§05・§06)。和も実数倍もエルミートですが、ii 倍すると (iH)†=−iH(iH)^\dagger = -iH となって外れます。つまり成分は複素数なのに実ベクトル空間で、次元は 3 です。

(xy−izy+iz−x)=x(100−1)+y(0110)+z(0−ii0),x,y,z∈R\begin{pmatrix} x & y - iz \\ y + iz & -x \end{pmatrix} = x\begin{pmatrix} 1 & 0 \\ 0 & -1 \end{pmatrix} + y\begin{pmatrix} 0 & 1 \\ 1 & 0 \end{pmatrix} + z\begin{pmatrix} 0 & -i \\ i & 0 \end{pmatrix},\qquad x, y, z \in \mathbb{R}

右辺の三つは 1-02 §05・1-04 で Pauli 行列 σ3,σ1,σ2\sigma_3, \sigma_1, \sigma_2 として再登場し、SU(2)\mathrm{SU}(2) のゲージ場の値はこの空間(の ii 倍)に入ります。

03

線形写像と行列

線形写像は和とスカラー倍を保つ写像です(L(u+v)=Lu+LvL(u+v) = Lu + Lv、L(cv)=c LvL(cv) = c\,Lv)。基底を決めると行列で書け、jj 列目が基底 eje_j の行き先です。合成は行列の積 (AB)v=A(Bv)(AB)v = A(Bv) で、数と違い、順序を入れ替えると一般に変わります。

A=(0100), B=(0010):AB=(1000),BA=(0001)A = \begin{pmatrix} 0 & 1 \\ 0 & 0 \end{pmatrix},\ B = \begin{pmatrix} 0 & 0 \\ 1 & 0 \end{pmatrix}:\qquad AB = \begin{pmatrix} 1 & 0 \\ 0 & 0 \end{pmatrix},\quad BA = \begin{pmatrix} 0 & 0 \\ 0 & 1 \end{pmatrix}

差 [A,B]=AB−BA[A, B] = AB - BA を交換子と呼びます。この例では [A,B]=diag⁡(1,−1)[A, B] = \operatorname{diag}(1, -1) で、§02 の基底の一つ目です。交換子がリー環の骨格になる話は 1-03 で扱います。

行列式 det⁡A\det A は面積(体積)の符号つきの倍率、トレース tr⁡A\operatorname{tr} A は対角成分の和です。det⁡(AB)=det⁡Adet⁡B\det(AB) = \det A \det B、tr⁡(AB)=tr⁡(BA)\operatorname{tr}(AB) = \operatorname{tr}(BA) から、どちらも基底の取り替え A↦P−1APA \mapsto P^{-1}AP で変わらず、写像そのものの性質です。例:回転 R(θ)=(cos⁡θ−sin⁡θsin⁡θcos⁡θ)R(\theta) = \left(\begin{smallmatrix} \cos\theta & -\sin\theta \\ \sin\theta & \cos\theta \end{smallmatrix}\right) は det⁡R=1\det R = 1、tr⁡R=2cos⁡θ\operatorname{tr} R = 2\cos\theta。

04

固有値と固有ベクトル

写像はたいていのベクトルの向きを変えますが、向きを変えずに伸び縮みだけさせる方向をもつことがあります。その方向のベクトルが固有ベクトル、伸び率が固有値です。

Av=λv  (v≠0)⟺det⁡(A−λI)=0Av = \lambda v \ \ (v \ne 0) \qquad\Longleftrightarrow\qquad \det(A - \lambda I) = 0

2×2 では λ2−(tr⁡A)λ+det⁡A=0\lambda^2 - (\operatorname{tr} A)\lambda + \det A = 0。実の 2×2 行列では、判別式 D=(tr⁡A)2−4det⁡AD = (\operatorname{tr} A)^2 - 4\det A が正なら実の固有方向が二本、負なら無く(固有値は複素数の組)、0 なら重根です(重根のとき固有方向は一本だけか、スカラー行列 λI\lambda I ならすべての方向)。nn 本の独立な固有ベクトルを並べた PP で、P−1APP^{-1}AP は対角行列になります(対角化)。

vv と AvAv が同じ直線に乗ることは、二つを並べた行列式 det⁡[v,Av]\det[v, Av] が 0 になることと同じです。図1 で確かめられます。

図1 つまみで単位ベクトル vv を回すと AvAv(青)が動く。同じ直線に乗る角度が固有方向で、下の曲線 det⁡[v,Av]\det[v, Av] がそこで 0 になる。点線は単位円の像
JavaScript が無効なら下の表で読めます。

計算この図の数値はこの端末で計算しました(表は NumPy の固有値計算)。行列は行を「;」で区切っています。下の表の行を押すと、その行列が図に入ります。

行列DD固有値実の固有方向(xx 軸から)
対称 (2 1 ; 1 2)43, 145°, 135°(直交)
対称でない (1.5 1 ; 0.5 1)2.252, 0.526.565°, 135°
ずれ (1 1 ; 0 1)01(重根)0° の一本だけ
60° 回転−30.5±0.866025 i0.5 \pm 0.866025\,iなし

対称行列では固有方向が直交します(理由は §06)。ずれは固有方向が一本しかなく、対角化できません。回転には実の固有方向が無く、det⁡[v,Av]\det[v, Av] はどの向きでも sin⁡60∘≈0.866\sin 60^\circ \approx 0.866 です。

寄り道:回転に実の固有ベクトルが無いこと

寄り道

飛ばしてよい小節です。

R(θ)R(\theta) の固有値は e±iθe^{\pm i\theta}、固有ベクトルは (1,∓i)(1, \mp i) です。比喩で言えば、平面の回転は複素数の世界では二つの「位相の掛け算」に分かれます。正確には、C2\mathbb{C}^2 の基底を (1,−i)(1, -i)、(1,i)(1, i) に取り替えると R(θ)=diag⁡(eiθ,e−iθ)R(\theta) = \operatorname{diag}(e^{i\theta}, e^{-i\theta}) です。複素数では固有方程式が必ず根をもつ(代数学の基本定理)ので、どの正方行列にも固有値があります。四次元の回転の二つの角(四次元の記事)は、固有値 e±iαe^{\pm i\alpha}、e±iβe^{\pm i\beta} の二組です。

05

内積と随伴

長さと角度を測るのが内積です。複素数の成分でそのまま ∑kukvk\sum_k u_kv_k とすると、v=(1,i)v = (1, i) の「長さの二乗」が 1+i2=01 + i^2 = 0 になってしまいます。そこで片方に複素共役を付けます(z‾ z=∣z∣2≥0\overline{z}\,z = |z|^2 \ge 0)。

⟨u,v⟩=∑kuk‾ vk,∥v∥=⟨v,v⟩,⟨u,v⟩=⟨v,u⟩‾\langle u, v\rangle = \sum_k \overline{u_k}\,v_k,\qquad \lVert v\rVert = \sqrt{\langle v, v\rangle},\qquad \langle u, v\rangle = \overline{\langle v, u\rangle}

この本は物理の流儀で、第 2 引数について線形とします(⟨cu,v⟩=c‾⟨u,v⟩\langle cu, v\rangle = \overline{c}\langle u, v\rangle)。数学の教科書には逆の流儀も多く(例:Axler の定義 6.2)、結論は変わりません。⟨u,v⟩=0\langle u, v\rangle = 0 なら直交、互いに直交する長さ 1 のベクトルの基底が正規直交基底です。

AA の随伴 A†A^\dagger は、転置して成分の複素共役を取った行列です(数学では A∗A^*)。内積の中で AA を反対側へ移します。

(A†)ij=Aji‾,⟨u,Av⟩=⟨A†u,v⟩,(AB)†=B†A†(A^\dagger)_{ij} = \overline{A_{ji}},\qquad \langle u, Av\rangle = \langle A^\dagger u, v\rangle,\qquad (AB)^\dagger = B^\dagger A^\dagger
06

エルミート行列

H†=HH^\dagger = H の行列がエルミート行列で、実の成分なら対称行列です。量子力学では測定値(エネルギーなど)がエルミートな作用素で表されます(2-05)。鍵は二つの性質です。

固有値は実数:Hv=λvHv = \lambda v、∥v∥=1\lVert v\rVert = 1 なら λ=⟨v,Hv⟩=⟨Hv,v⟩=λ‾\lambda = \langle v, Hv\rangle = \langle Hv, v\rangle = \overline{\lambda}。異なる固有値の固有ベクトルは直交:Hu=μuHu = \mu u なら λ⟨u,v⟩=⟨u,Hv⟩=⟨Hu,v⟩=μ‾⟨u,v⟩=μ⟨u,v⟩\lambda\langle u, v\rangle = \langle u, Hv\rangle = \langle Hu, v\rangle = \overline{\mu}\langle u, v\rangle = \mu\langle u, v\rangle(μ\mu は実数)で、μ≠λ\mu \ne \lambda だから ⟨u,v⟩=0\langle u, v\rangle = 0。

押し進めたのがスペクトル定理です 既知。エルミート行列には固有ベクトルからなる正規直交基底があり、固有値 λ1≤⋯≤λn\lambda_1 \le \cdots \le \lambda_n は実数です。基底を並べたユニタリ行列 UU(§07)で U†HUU^\dagger HU は実対角になります。

最小の固有値と次の固有値の差を隙間(ギャップ)と呼びます。量子力学では最小の固有値 E0E_0 が基底状態のエネルギー、E1−E0E_1 - E_0 が最初の励起に要るエネルギーです。有限次元では隙間はいつも計算できます。問題は無限次元で、極限のあとも隙間が正のまま残るかどうかです(1-10・4-11)。

例:§02 の行列は tr⁡H=0\operatorname{tr} H = 0、det⁡H=−(x2+y2+z2)\det H = -(x^2 + y^2 + z^2) なので固有値は ±x2+y2+z2\pm\sqrt{x^2 + y^2 + z^2}、隙間が 0 になるのは x=y=z=0x = y = z = 0 だけです。図2 は y=cy = c、z=0z = 0 の場合です。

図2 H(x)=(xcc−x)H(x) = \left(\begin{smallmatrix} x & c \\ c & -x \end{smallmatrix}\right) の二つの固有値。非対角成分 cc を上げると交差が開いて隙間が残り、xx を動かすと下の固有ベクトルの中身(帯、青が e1e_1 の重み)が入れ替わる
JavaScript が無効なら下の表で読めます。

計算曲線はその場で ±x2+c2\pm\sqrt{x^2 + c^2} から描き、表は NumPy のエルミート用固有値計算の値です(両者は表示の桁で一致)。xx を −x-x にすると重みが入れ替わります。表の行を押すと、その xx と c=0.3c = 0.3 が図に入ります。

xx(c=0.3c = 0.3)E0=−E1E_0 = -E_1隙間下の固有ベクトル e1:e2e_1 : e_2
0.0−0.3000000.6000000.5000 : 0.5000
0.2−0.3605550.7211100.2226 : 0.7774
0.5−0.5830951.1661900.0713 : 0.9287
1.0−1.0440312.0880610.0211 : 0.9789

c=0c = 0 では直線 ±x\pm x が交わります。c≠0c \ne 0 なら曲線は近づくだけで、最小の隙間 2c2c が残り、そこを過ぎると下の固有ベクトルの中身が入れ替わります。

寄り道:準位は避け合う

寄り道

飛ばしてよい小節です。

2×2 で固有値が重なるには、エルミートなら x=y=z=0x = y = z = 0 の三条件、実対称なら二条件が要ります。一つのパラメータで動く族がそこを通るのは特別な場合だけなので、対称性の無い一般の族では、固有値の曲線はふつう交わりません 既知。対称性があって行列が区画に分かれるときは、違う区画どうしの準位は交わりえます。一般の n×nn \times n での数え上げは von Neumann と Wigner(1929)に遡るとされます。比喩では準位が「反発する」と言います。正確には、力が働くのではなく、重なる行列が条件の数だけ次元の低い薄い集合をなす、ということです。

07

ユニタリ行列

内積を保つ行列がユニタリ行列です。長さと角度を変えない変換で、実の成分なら直交行列(回転と鏡映)です。

U†U=I⟺⟨Uu,Uv⟩=⟨u,v⟩  (すべての u,v)U^\dagger U = I \qquad\Longleftrightarrow\qquad \langle Uu, Uv\rangle = \langle u, v\rangle \ \ \text{(すべての } u, v\text{)}

左から右は ⟨Uu,Uv⟩=⟨u,U†Uv⟩\langle Uu, Uv\rangle = \langle u, U^\dagger Uv\rangle から出ます。列が正規直交基底をなすことと同じで、U−1=U†U^{-1} = U^\dagger。固有値は ∣λ∣=1|\lambda| = 1、∣det⁡U∣=1|\det U| = 1 です。積と逆行列もユニタリなので、全体 U(n)\mathrm{U}(n) と、det⁡U=1\det U = 1 の部分 SU(n)\mathrm{SU}(n) は「群」になります(1-02)。

例:U(1)={eiα}\mathrm{U}(1) = \{e^{i\alpha}\} は単位円です。∣a∣2+∣b∣2=1|a|^2 + |b|^2 = 1 の複素数で作った (a−b‾ba‾)\left(\begin{smallmatrix} a & -\overline{b} \\ b & \overline{a} \end{smallmatrix}\right) は SU(2)\mathrm{SU}(2) の元です(すべてがこの形であることは 1-02 §05)。

ユニタリ行列も対角化できます。根拠は複素のスペクトル定理です 既知。AA†=A†AAA^\dagger = A^\dagger A を満たす行列(正規行列)は、ユニタリ行列で対角化できます。ユニタリ行列は U†U=UU†=IU^\dagger U = UU^\dagger = I なのでこれに当たり(エルミート行列も当たります)、U=Vdiag⁡(eiθ1,…,eiθn)V†U = V\operatorname{diag}(e^{i\theta_1}, \dots, e^{i\theta_n})V^\dagger(VV はユニタリ、θk\theta_k は実数)と書けます。

ゲージ理論でユニタリ行列が出るのは、物質の場が CN\mathbb{C}^N に値をとり、長さの二乗 ψ†ψ\psi^\dagger\psi が作用に現れるからです。ゲージ変換はそれを保つように選ばれます(3-01)。格子の上では、ゲージ場そのものが各辺のユニタリ行列です(5-01)。

08

行列の指数関数

指数関数の級数は掛け算と足し算しか使わないので、行列にもそのまま使えます。

eX=I+X+X22!+X33!+⋯=∑k≥0Xkk!e^X = I + X + \frac{X^2}{2!} + \frac{X^3}{3!} + \cdots = \sum_{k \ge 0} \frac{X^k}{k!}

収束。作用素ノルム ∥X∥=max⁡∥v∥=1∥Xv∥\lVert X\rVert = \max_{\lVert v\rVert = 1}\lVert Xv\rVert(長さ 1 のベクトルを最大何倍にするか)は ∥XY∥≤∥X∥∥Y∥\lVert XY\rVert \le \lVert X\rVert\lVert Y\rVert を満たすので、各項は ∥X∥k/k!\lVert X\rVert^k/k! 以下、和は e∥X∥e^{\lVert X\rVert} 以下です。k=Nk = N までの部分和 SN(X)S_N(X) の誤差は次のとおりです。

∥eX−SN(X)∥≤∥X∥N+1(N+1)! e∥X∥\bigl\lVert e^X - S_N(X)\bigr\rVert \le \frac{\lVert X\rVert^{N+1}}{(N+1)!}\,e^{\lVert X\rVert}

性質。(a) ddtetX=XetX\frac{d}{dt}e^{tX} = Xe^{tX}。よって x(t)=etXx0x(t) = e^{tX}x_0 は x′=Xxx' = Xx、x(0)=x0x(0) = x_0 の解です。(b) e(s+t)X=esXetXe^{(s+t)X} = e^{sX}e^{tX}、特に (eX)−1=e−X(e^X)^{-1} = e^{-X}。(c) PeXP−1=ePXP−1Pe^XP^{-1} = e^{PXP^{-1}}。(d) det⁡eX=etr⁡X\det e^X = e^{\operatorname{tr} X}。対角化できれば (c) から ∏keλk=e∑kλk\prod_k e^{\lambda_k} = e^{\sum_k \lambda_k}、一般には上三角化で示せます 既知。どの複素正方行列 XX も、ユニタリ行列 VV で V†XVV^\dagger XV を上三角にでき(Schur の定理)、上三角行列の指数関数は対角成分が eλke^{\lambda_k} の上三角行列です。

注意。XY=YXXY = YX なら eX+Y=eXeYe^{X+Y} = e^Xe^Y ですが、一般には違います。§03 の A,BA, B は A2=B2=0A^2 = B^2 = 0 なので eA=I+Ae^A = I + A、eB=I+Be^B = I + B で、

eAeB=(2111),eBeA=(1112),e^Ae^B = \begin{pmatrix} 2 & 1 \\ 1 & 1 \end{pmatrix},\qquad e^Be^A = \begin{pmatrix} 1 & 1 \\ 1 & 2 \end{pmatrix}, eA+B=(cosh⁡1sinh⁡1sinh⁡1cosh⁡1)≈(1.54311.17521.17521.5431).e^{A+B} = \begin{pmatrix} \cosh 1 & \sinh 1 \\ \sinh 1 & \cosh 1 \end{pmatrix} \approx \begin{pmatrix} 1.5431 & 1.1752 \\ 1.1752 & 1.5431 \end{pmatrix}.

計算三つとも違います。差を交換子で書く公式は 1-03 の主題です。(d) は乱数の 4×4 複素行列 1000 個で相対誤差 5.7×10−145.7\times 10^{-14} 以内でした。

例:J=(0−110)J = \left(\begin{smallmatrix} 0 & -1 \\ 1 & 0 \end{smallmatrix}\right) は J2=−IJ^2 = -I なので、偶数次と奇数次に分けて etJ=cos⁡t I+sin⁡t J=R(t)e^{tJ} = \cos t\,I + \sin t\,J = R(t)、つまり回転です。一般に X2=−ω2IX^2 = -\omega^2 I なら etX=cos⁡(ωt) I+sin⁡(ωt)ωXe^{tX} = \cos(\omega t)\,I + \frac{\sin(\omega t)}{\omega}X です。

図3 X=(a−11a)X = \left(\begin{smallmatrix} a & -1 \\ 1 & a \end{smallmatrix}\right)、x0=(1,0)x_0 = (1, 0)。実線が etXx0e^{tX}x_0、青の破線が部分和 SN(tX)x0S_N(tX)x_0。NN を増やすと破線が実線に重なり、tt を延ばすと要る NN が増える。a≠0a \ne 0 で円が渦巻きになる(点線の半径 eate^{at})
JavaScript が無効なら下の表で読めます。

計算図の部分和はその場で級数を足しています。表は倍精度の部分和と回転行列 etJe^{tJ}(a=0a = 0)との差を作用素ノルムで測った値です。表の数値のセルを押すと、その NN と tt(a=0a = 0)が図に入ります。

NNt=1t = 1t=πt = \pit=2πt = 2\pit=4πt = 4\pi
48.3×10⁻³2.3571.0×10³
82.7×10⁻⁶7.9×10⁻²361.3×10⁴
162.8×10⁻¹⁵7.8×10⁻⁷9.9×10⁻²1.1×10⁴
301.1×10⁻¹⁶2.5×10⁻¹⁶6.6×10⁻¹⁰1.4
誤差 < 10⁻⁶ の最小の NN9162643

tt が大きいと項 tk/k!t^k/k! がいったん膨らむので、要る NN は tt とともに増えます。t=πt = \pi、N=16N = 16 では、上の誤差の上界 1.8×10−51.8\times 10^{-5} に対し実際の誤差は 7.8×10−77.8\times 10^{-7} です。

寄り道:級数をそのまま足すと失敗する例

寄り道

飛ばしてよい小節です。

定義として正しい式が、計算法として良いとは限りません。Moler と Van Loan の総説(1978 年。2003 年に再録と追補)の例 既知 は A=(−4924−6431)A = \left(\begin{smallmatrix} -49 & 24 \\ -64 & 31 \end{smallmatrix}\right)(固有値 −1 と −17)です。eAe^A の成分は 1 程度なのに、級数の途中の項は約 9.3×1069.3\times 10^6 まで膨らんで打ち消し合います。この端末で値が変わらなくなるまで足すと 計算、単精度(約 7 桁)では 61 項で右下の成分が 1.1036 のはずが −0.8392 になり、倍精度では 74 項で誤差 5.7×10−95.7\times 10^{-9} でした。論文は、問題は級数の打ち切りではなく算術の打ち切りにある、と述べています。実用のプログラム(SciPy の expm など)は、行列を 2 の冪で割ってから近似し、二乗を繰り返して戻す scaling and squaring を使います。

09

エルミートとユニタリを結ぶ

エルミート行列とユニタリ行列は指数関数でつながります。比喩で言えば、エルミート行列は「回し方」、ユニタリ行列は「回した結果」です。正確には次のとおりです。

H†=H  ⟹  U=eiH はユニタリ,det⁡eiH=eitr⁡HH^\dagger = H \;\Longrightarrow\; U = e^{iH} \text{ はユニタリ},\qquad \det e^{iH} = e^{i\operatorname{tr} H}

項ごとに随伴を取ると (eiH)†=e−iH(e^{iH})^\dagger = e^{-iH}。iHiH と −iH-iH は交換するので §08 (b) から U†U=e0=IU^\dagger U = e^0 = I、行列式は (d) から出ます。tr⁡H=0\operatorname{tr} H = 0 なら det⁡U=1\det U = 1 で U∈SU(n)U \in \mathrm{SU}(n) です。逆に、どのユニタリ行列も §07 の対角化から H=Vdiag⁡(θk)V†H = V\operatorname{diag}(\theta_k)V^\dagger と置いて eiHe^{iH} と書けます 既知(θk\theta_k は 2π2\pi の整数倍だけ選べるので、HH は一つに決まりません)。

例:H=(0110)H = \left(\begin{smallmatrix} 0 & 1 \\ 1 & 0 \end{smallmatrix}\right) は H2=IH^2 = I なので eiθH=cos⁡θ I+isin⁡θ He^{i\theta H} = \cos\theta\,I + i\sin\theta\,H、行列式は cos⁡2θ+sin⁡2θ=1\cos^2\theta + \sin^2\theta = 1。計算乱数の 3×3 エルミート行列 1000 個で ∥U†U−I∥≤1.6×10−15\lVert U^\dagger U - I\rVert \le 1.6\times 10^{-15}、トレース 0 なら ∣det⁡U−1∣≤1.1×10−15|\det U - 1| \le 1.1\times 10^{-15} でした。

この対応は二か所で使われます。量子力学の時間発展 e−itH/ℏe^{-itH/\hbar} はユニタリで、確率の合計を保ちます(2-05)。ゲージ理論では、§02 の空間を N×NN \times N に広げたもの(トレース 0 の N×NN \times N エルミート行列、の ii 倍)を指数関数で送った先が SU(N)\mathrm{SU}(N) で、前者がゲージ場の値、後者がゲージ変換の空間です(1-03・1-04)。実の成分に限れば、「反対称行列 KK の eKe^K は回転」という形になります。

ゲージ場の値に「ii 倍」を付けるのは幾何の書き方(1-07)です。物理の書き方はゲージ場をエルミートな行列のまま書き、二つは A幾何=−iA物理A_{\text{幾何}}=-iA_{\text{物理}} で移り合います(結合定数を分けて書く章での形は 3-02 の表)。


この章が言えている範囲

言えている言えていない
既知有限次元のエルミート行列は実の固有値と、固有ベクトルからなる正規直交基底をもつ。ユニタリ行列も同様に対角化でき、固有値は絶対値 1。無限次元で同じことが言えるか。固有ベクトルをもたない作用素もある(1-10)。
既知eXe^X はいつも収束し、det⁡eX=etr⁡X\det e^X = e^{\operatorname{tr} X}。HH がエルミートなら eiHe^{iH} はユニタリで、どのユニタリ行列もこの形。eX+Ye^{X+Y} と eXeYe^Xe^Y の差を交換子で表す公式(1-03)。
計算図と表の数値、乱数行列での恒等式の確認。乱数での確認は証明ではない。
既知有限次元では、最小固有値と次の固有値の隙間はいつも計算できる。無限次元の作用素で、極限のあとも隙間が正のまま残るか。質量ギャップの問題はこの形をしており(4-11)、この章はそれについて何も言わない。

出典と再現

もの種別出典・道具
内積の流儀、スペクトル定理(実・複素、正規行列)、上三角化(Schur の定理)既知S. Axler, Linear Algebra Done Right, 4th ed., Springer (Undergraduate Texts in Mathematics), 2024。定義 6.2、7.29、7.31、6.38。オープンアクセス版で本文を確認。
級数による計算の失敗例、scaling and squaring既知C. Moler, C. Van Loan, SIAM Review 45 (2003) 3–49(Method 1・3、本文を確認)。初出 SIAM Review 20 (1978) 801–836(書誌のみ)。SciPy の expm の方式は SciPy 1.11 の説明文による(A. H. Al-Mohy, N. J. Higham, SIAM J. Matrix Anal. Appl. 31 (2009) 970–989、書誌のみ)。
固有値の交差に要る条件の数既知J. von Neumann, E. Wigner, Physikalische Zeitschrift 30 (1929) 467–470(書誌のみ)。
図1・図2 の表計算この端末の Python 3・NumPy 1.26 の eig・eigh。トレース 0 の 2×2 エルミート行列 1000 個で式 ±x2+y2+z2\pm\sqrt{x^2+y^2+z^2} との差 2.2×10−152.2\times 10^{-15} 以内。
図3 の表、§08 の寄り道の再計算、§08・§09 の恒等式計算部分和を倍精度・単精度で計算(半精度は途中の項が上限を超えて計算不能)。厳密値は回転行列と Pdiag⁡(e−1,e−17)P−1P\operatorname{diag}(e^{-1}, e^{-17})P^{-1}(P=(1324)P = \left(\begin{smallmatrix} 1 & 3 \\ 2 & 4 \end{smallmatrix}\right))。SciPy 1.11 の expm と乱数行列(シード固定、各 1000 個)。

次に読む章:1-02 群とは何か — ユニタリ行列の集まりが「群」をなすことから始め、SO(3)\mathrm{SO}(3) と SU(2)\mathrm{SU}(2) の関係へ進みます。

← 0-04 数学の四次元と物理の四次元目次1-02 群とは何か →

改訂 2026-10-01:初版。